戦争シーンの再生産 ― "Grandma's tales" by Andrew Lam


Sudden Fiction (Continued): 60 New Short-Short Stories (Religion)

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これも読んで損はない短篇。
短い中にもいろいろあって、小説空間を満喫できます。


始まり方がまずショッキング。といってもグロテスクなのではなく「え、えーっ??」って言ってる間に、首根っこ引っつかまれていつのまにか小説に引き込まれているという感じ。


あらすじはこんな感じ↓。ベトナム戦争後、ボートピープルとしてアメリカ移民一家に起こった出来事が話の中心で、語り手は姉弟の弟のほう。

  1. 両親が旅行中、家にいるのが姉弟(20前後?)とおばあちゃんだけとなった夕方、おばあちゃんがいきなり死んだ 
  2. 両親はいないし、子供たちにも夜には外出予定があるし、ということで子供たちはおばあちゃんを冷凍庫で凍らせることにした
  3. 語り手(弟の方)はバイセクシャルでボーイフレンドがいる。そのことについても理解のあるおばあちゃんだった 
  4. おばあちゃんを凍らせてから姉はパーティに、弟はデートに出かける
  5. 弟はボーイフレンドと一緒に帰宅。するとおばあちゃんが生き返っていた
  6. おばあちゃん、弟、ボーイフレンドという三人が姉のカクテルパーティにでかけていった
  7. そのパーティでおばあちゃんはベトナムに関するいろいろな苦労話を披露。喝采を浴びる
  8. 話終わったおばあちゃんは、パーティで出会った男性とともに第二の人生をふみだす
  9. 旅行から帰ってきた両親によって葬式がとりおこなわれる、が、弟は嘆かない。おばあちゃんはもうそこにはいないと知っているから。


人が死んだところからはじまるってのは、結構よくあるはなし。
「死」は一応、非日常ってことになってるから、まぁ、フィクションには
よく使われる設定。
この作品では、人が死ぬというだけではなく、死体を凍らせてパーティやら
デートに出かけちゃうってのがおもしろい。


友達にも紹介したら、評判がよかった。で、この友達と議論したこと:


私:おばあちゃんはアメリカ人がベトナム人を撃ち殺すとこを何本もの映画でみてきた(からそんな映像おばあちゃんにとっては何でもない)ってあるけど、ベトナム戦争時代、おばあちゃんはそういうの実際にみてきたわけだから、「映画で見てきた」ってやるよりも「実際にみてきた」ってほうが、話としてはインパクトがあるんじゃない?


友:馬鹿ねぇ。わざわざ「映画でみてきた」ってするには理由があるの。「映像の再生産」ってことを考えなさいよ。「実際にみてきた」って言った場合は、すでに過去のことでしょ。「映画でみてきた」ってすると、今までも、そしてこれからも、その映画が再生されるたびにアメリカ人はベトナム人を撃ち殺すってことになるの。そうやって、アメリカ人がいとも簡単にベトナム人を撃ち殺す様子から読み取れる差別意識やなんかが、未来永劫、再生産されていくのよ。


なるほどね〜、と納得。