[感想] 『三四郎』 夏目漱石

三四郎 (新潮文庫)

三四郎 (新潮文庫)

# むー。はまぞうで画像がでない。残念。だって、ミネコと三四郎(と思われる)ひとびと、ちょっとこれはないんじゃ・・・?っていうのなんだもん。ミネコは美人というよりは目つきが少々逝っちゃってるかんじだし、浅黒い三四郎は魂が抜けた人みたい...


さて...


「ここにきみがいる」ってPOPをたてよう。もし私が大学の書店員なら。
だって、さえない高校生活をおえて大学生になったとたん、キラキラした
人たちの間に放り込まれ、でも自分の立つ位置がイマイチ分かんなくってって
経験、きっと学生になりたての頃にはつきもの。


実際私は大学一年のとき初めて『三四郎』を読んだはず。
その時は、上京したばかりの三四郎の戸惑いや不安を共有しながら読みきって、
あとにはミネコに対する違和感ばかりが残ったような... なぜああも
思わせぶりなんだろうって。


しかし苦節12年で、あの頃より少しだけ経験値をあげた今読み返すと、
三四郎ではなく別の人を選んだミネコの気持ち、すこーしだけ分かる気がした。
というのは、この三四郎、あまりにガッついてきて余裕なんて
これっぽっちも感じさせない。で、女は余裕のない男がきらい。ひく。


そのミネコが最後とつぜん結婚してしまう。それも、是非に、と請われて
行くのではなく、ミネコかその知人かどちらかでも可、という形で
きたしょうもない縁談にのるのだ。


つまりミネコは自由意志をもって生きることを放棄したということ。
そしてミネコの将来は簡単に想像できる。夫となる人と
決して心を通わすことなく、氷のような眼をして妻という役を
演じるのだろう。
だけど、そもそもなぜミネコは自分の意志を捨てたのか、というのは
私の中でも消化できていない。


でもまあ、三四郎も運が悪い。初手からミネコみたいのが相手だなんて。
ごくろーさん、だよ。まったく。


この『三四郎』、人にすすめるとしたら、学生になりたての子にすすめるかな。
また、自分が再読するとしたら、いつだろう。こんど片想いするときかなー。
三四郎の幸福な勘違いにふれることで、妄想に走りがちな己の姿を客観視するために。