『草の上の朝食』(保坂和志)− もはや焦点はなく


草の上の朝食 (中公文庫)


プレーンソング(ISBN:4122036445)の続編。


プレーンソングの主人公が再び自分の生活を語りだす。
その語りだし方があまりにあたりまえで、あたかも「分冊にしたのはそっちの勝手な都合だろう」とでもいわんばかりに、作品世界のリアルさがある。


なので、当然、人物も当然プレーンソングからなじみの人物+新しい人物。


ただ、プレーンソングと大きく違う点がある。それは主人公に少しだけ積極性がみられるという点。


プレーンソングでは、周りで起きることには受身一辺倒だった主人公に、続編では恋人(らしき人)ができたりする。そういう意味で 『草の上の朝食』は一種の恋愛小説だといえる。しかし、『セカチュー』など一般的に流通している恋愛小説に比べると相当ゆるい(はず。多分。『セカチュー』や『東京タワー』は未読。てか、これからも読むことはきっとない)。
エロスに突き動かされてどうかなっちゃう人がでてくるわけでもなし。


主人公が誰かを好きになるというのは、確かにこの小説では大きな出来事だけれども、一方でこの小説のなかでは「恋愛」という言葉が浮いてしまうほど恋愛は焦点から外れている。


では『草の上の朝食』では何に焦点が当てられているのかというと、多分何にも当てられていない。少なくとも、表面上は、主人公はその日常を脈絡なくつづっていくだけだ。


一般論からすると、文章で書かれたものについては焦点があっていればあっているほどよいとされている。その好例は短篇小説。短篇小説では、例えば、夫婦間の贈り物をどうするか、といったようなあるひとつの出来事を核に話しが進められる。一方『草の上の朝食』の魅力は焦点がぼやけていることにあるといえる。いかにも日常らしく、焦点とすべきものがたくさんありすぎて拡散してしまうのだろうか。実際、日常生活では日によって時間によって関心事となっていることは移り変わる。こうして、拡散する焦点は、昨日までを振り返ると、結果的にたくさんの出来事がゆるく結び合わさった世界を作り上げている。


ところで主人公。ようやくどんな人かが分かってきたけど、ちょっとやだな、この人。「昼間会社をぬけだして恋人の家でセックスするのが日課」ってなんですか...
この人に言いたいこと3つ。

  1. やるためだけに通うな。露骨すぎるぞ。
  2. 夜も会ってあげてよ。そしておいしいもの食べに連れてってあげてよ。
  3. ちゃんと仕事しなさい。


なるほど、という見方をしているページがあった。
大まかに言うと「保坂和志小説では葛藤が0」ということ。
http://d.hatena.ne.jp/yagian/20041009