Pulling the truth out of the Darkness (on "A Temporary Matter" by Jhumpa Lahiri)


Interpreter of Maladies

Interpreter of Maladies


Recently I have been reading immigrant-culture-based literature as those books give me a fresh and complex view point. "A Temporary Matter" by Jhumpa Lahiri is one of them.


The story is about an Indian American couple.


The husband, at 35, has no other choice but to remain as a graduate student without any achievement, whereas the wife has been very successful in her career, which has turned their relationship into an unstable one. They are happier when they are occupied with his/her own matters than when they are together at home.


Their situation makes me think what if each other's status is opposite: the husband as a successful businessman, the wife as a graduate student in vain.


To my disappointment, it's not so easy for us, I mean the couple and me, to be free from the obsolete notion: Men should be better at business than women. It almost amazes me how the notion which was once believed to be true at least in Japan, still affects my way of thinking.


As for the couple cited before, what they thought they should be subconsciously has been eroding what they really are. They are suffocating in their marriage.


One night, they get a chance of change; they are informed of a temporary matter, a one-hour blackout for five consecutive days. The wife makes a suggestion that they confess their secrets one by one per night during the power failures.


The information on a blackout reminded the wife of her Indian relatives' favorite pastime during power failures back home. She said they enjoy listening to the stories told by everyone there in turn, which interested her husband, who is also an Indian-American but hadn't known this recreation until then.


Her suggestion of confessing secrets in the darkness makes me think of a Japanese old game called "one-hundred-stories (hyaku monogatari)", which was popular in edo-period starting 450 years ago.


The game goes like this... 5 to 10 people in a dark room tell ghost stories in turn. When the number of all the stories told there reaches 100, something frightening is supposed to emerge.


The difference between this one-hundred-stories and the wife's confess-the-secrets though is that in one-hundred-stories we don't know what will happen until we have finished 100 stories, while in confess-the secrets she thought she knew where her confession would lead her and her husband; she had a big secret to confess and I think she needed a kind of preparation to make that confession.


But there was one thing she missed.


She didn't take it into account that her husband might affect the close of her scenario and he actually did. He made a full confession too.


And like the end of the edo-game, there appears something frightening, a painful truth.

 松山の「坊ちゃん」産業


今日の『生活ほっとモーニングhttp://www.nhk.or.jp/hot/ がおもしろすぎた。


タイトルは、
「にっぽん体感こだわり旅 〜江川達也さんと行く 松山・文学散歩」
で、内容は、漱石の『坊っちゃん (岩波文庫)』にでてきた場所を中心に文学散歩をしようというもの。


朝から江川達也はちょっと暑苦しいなーって思いながらも、
『坊ちゃん』は好きなので見てしまったところ、おもしろかった。
何がって、ことあるごとに爆走しようとする江川を上手にコントロールするアナウンサーが。


話が明治以来の管理教育体制に及ぶと江川が熱く語りだし、すると男アナウンサーが「ちょっと『日曜討論』っぽくなってきたので話をもとにもどして」と言ってすかさず江川の口を封じるとか、江川が真剣に議論しようとしているときに、女アナウンサーが「そういえば「坊ちゃん」は団子が好きだったんですよね」といってさりげなく話の腰を折るとか。


『坊ちゃん』の中には、坊ちゃんが道後温泉のなかで泳いだかどで注意されるというシーンがあるのですが、そのエピソードから、今朝テレビでみた道後温泉の風呂場の壁には「坊ちゃん泳ぐべからず」という貼り紙がしてありました。


「水泳禁止」というその貼り紙を背景に泳ぎまくる江川。平泳ぎ、クロール・・・
「ほんとはダメなんですよ」というアナウンサーに対しては、「あー、僕、水泳部だったんですよ」ってあっけらかんと返答。


番組最後には、江川 VS 地元高校生俳句部部員の俳句対決があり、そこで江川は負ける。が、負け惜しみともとれるようなことをいろいろいろいろ言ってて、ちょっとお茶目大人気ない。


それにしても、松山には『坊ちゃん』が屋号・商品名に多用されているそうな・・・。

  • 書房坊ちゃん はまだ分かるとして、


↓はどうなんだろうか。


非常に脱力感があってよろしい。

 日本語シソーラスを買った


日本語のシソーラスを買いました。1万5千円はイタイ (>_<) 出費ですが、その価値はあります。
これが一人の仕事だというから驚き。偉業です。脱帽です。
著者の山口翼(たすく)さんに感謝です。


日本語大シソーラス―類語検索大辞典―

日本語大シソーラス―類語検索大辞典―


確かに、英語圏で教育うけたとき、辞書とシソーラスを使うのがセットで使うのが当たり前になっていました。なぜかというと、それは英語の文章作法のようなもので、何か書くとき同じ単語を繰り返して使うよりは、同義語をつかって豊富な語彙で書かれたものの方が文章がエレガントだとされるからです。


で、最近わたしはアメリカ短編小説の翻訳もやっているので、ピッタリした言葉を探りあてるのにこの日本語シソーラス武装というわけ。


日本にはシソーラスに似たものとして類語辞典がありますが、これは私が求めているものとはちょっと違うんだな。言葉の使い分け方に焦点があてられていたりするので、同義語を探すといいう目的にはちょっとあわない。

でもちょっと注意


そういうわけでこの「日本語のシソーラス」、とっても助かっているのですが、使うときに注意しないといけないことがあります。それは「同音異義語」のチェックが甘いということ。誤用がそのまま載っています。ですから、少しでも「あれ?」と思ったら、国語辞典などで確認することをおすすめします。


たとえば・・・
このシソーラスで「お褒めに預かる」「会場が湧く」という記載を見つけましたが、それぞれ、正しくは「お褒めに与る」「会場が沸く」です。


「お褒めにあずかる」の「あずかる」については、3つの辞典を見てみました。
広辞苑(岩波) → 「与る」
大辞泉小学館) → 「与る」
大辞林三省堂) → 「与る」
この結果、お褒めに「預かる」とするのは、誤運用か、まれな運用なのだと思います。

 さおだけ屋はつぶれてるんだってば!!ってお父さんが...


父(経済人)に教えてあげた。
「ねー、最近、若い会計士が書いた『さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学ISBN:4334032915)』って本、すごい売れてるんだって」


で、父の答え「はぁ?つぶれてるよ、どんどん」

2005/11/05 追記


http://d.hatena.ne.jp/sakuneko/20051103トラックバックしてもらった(ありがとう!)のでさらに余談。


父によると、もともと「さおだけ屋」という商売が成り立っていたのは、
洗濯物干しが「さおだけ」だった時代だから。長い竹なんだもの、「さおだけ」は持ち運びに不便ですよね。だから小売店のほうから各家庭まで売りにきていたというわけ。


しかし今は伸縮可能なさおだけ代替品があります。それこそほしくなれば簡単にホームセンタで買って帰れるような。だから、わざわざトラックでまわって「さおだけ」を売りにきてもらう必要は実際はありません。それで今の時代、「さおだけ屋」という商売は成り立たないわけです。


こんな状況の「さおだけ屋」がいかに商売を維持しているか、というのがこの『さおだけ屋』本の勘どころなのかな??


ただ、父と話しているとこれも「タイトル勝ち」の本かなって思いました。


まぁ、それでもそれだけ売れてるなら、さおだけ以外で読むに値することは書いてあるんだろうというのが父の言。

 gVimとjVim


深い話ではありません。gVimだと文字化けしたからjVimにしたというそれだけの話。


日本語を大量に入力する機会があってやっぱりエディタはVI系がよいと思い、GVim for Japanese Windowshttp://www.vector.co.jp/soft/dl/win95/writing/se117961.html)ってのをインストールしてみました。


しかし、文頭がいつも文字化け。そしてプルダウンメニューも文字化け、さらに「^r」が効かず「取り消しの取り消し(「u」で消したものの回復)ができない。理由は分かりません。


そこで、jVimをインストールしなおしました。文字化けしないし、「^r」も使える。とりあえず、今の作業の目的にはかなっているのでjVimをしばらく使ってみよう。

jVim ・・・ http://hp.vector.co.jp/authors/VA003457/vim/vim3/vim.html

『ストレスの海』という新作落語


10/26、春風亭昇太新作落語を見に行ってきて笑った。タイトルは「ストレスの海」で、すがすがしい不条理落語。「不条理」と「すがすがしさ」が結びつくのが新鮮で爽快だった。


登場人物は夫婦で、構成はこんな感じ。

  1. 奥さん、ストレスのおそろしさを本で知り、旦那のことが心配になる
  2. 家で寝ている旦那。その旦那に「ねー、ストレスない?ストレスない?」ってちょっかいかける奥さん
  3. 寝ているところを起こされた旦那は当然不機嫌。
  4. 奥さん「あ!イライラして眠れないって言ってるわ!大変!ストレスの兆候だわ!」(自分が起こしたのに)
  5. 奥さん「ねえ、ストレスは怖いのよ、ストレスには行楽がいいんですって!行楽、行楽、行楽につれてってー、つれてってー」
  6. 海。夫婦二人、沖のほうまでゴムボートで漕ぎ出す。リラックスするが、古いゴムボートなので穴があき、沈みはじめる。奥さん、旦那を海へほっぽりだして「あなた、ちゃんとついてきなさい!」っつって自分だけ、半死半生でゴムボートで帰還。
  7. 旦那の葬式の場面。「まだお若いのにどうして・・・」と声をつまらせる参列者。
  8. 「えぇ、ストレスで」と答える奥さん。


よくできてるなー。


BS笑点もみてるけど、春風亭昇太があんなにおもしろいと知ったのは今回はじめてでした。収穫、収穫。


あと、うちの両親も実はこんな感じです。お父さんが稼ぎ頭なのに、おかあさんが不条理な威張り方をしている。昨日もお父さんが買ってきたワッフルを「お父さん、糖尿予備軍なんだからダメっ!!」ってとりあげて自分でむしゃむしゃ食べていた。お父さん、稼いでるのに。ワッフル一枚食べられないなんて。そしてお父さんはワッフルの代わりに、ナントカ値を下げるのにいいとかいわれている生たまねぎの酢漬けをあてがわれてそれをかなしそうに食べているのでした。昨晩のはなし。