『蝶の皮膚の下』 赤坂真理

蝶の皮膚の下 (河出文庫)

蝶の皮膚の下 (河出文庫)



" 私を見て。"
" 素敵だと言って。大切だと言って。必要だと言って。"
" 私を愛して。"
" お願い。私を捨てないで。"


なんて、口に出して言えるー?言えないよねー。
こんなの人に懇願するようになっちゃおしまいだと思っちゃう。だけど
そうやって口に出さずにガマンしようとするのは、とりもなおさず
心の中ではこう思ってるから。


優秀なホテルウーマンであるリカは、しかし、職場での自信ある態度とは
裏腹に、いつも不安にさいなまれている。それは自分が誰にも必要と
されていないのではないかという不安であり、誰も自分の居場所を
作り出してはくれないことに対する不安である。


リカはこの不安を解消してくれるのは男だと思っている。
男によって自分が救われるというシナリオが既に入力済みであり、
だから、男に殴られてもそれこそが愛だと思ってしまったりする。
また、殴られるままになることを愛の表明だと思ってしまったりする。


" お願い。私を捨てないで。" という悲痛な懇願がリカを侵食する。


この懇願を共有しているからこそ、私はこの小説をもう一度読みたいと思う。
" 自分の価値は自分で決めるものよ" ってのは、言い分としては分かるんだけど
宝石でもなんでも、価値を決めるのは宝石自身ではない。
そこで無理して" あたしはあたしで価値がある "って思い込もうとしたって、
誰も気にかけてくれないんじゃあ萎えるよね。


で、そういうとき、自分というものをそのまんま誰かに丸投げして、
その人に自分の価値を肯定してもらえたら、ずいぶんラクになれるんだがなーって
思う。


そんな感情が増幅されて造形されたのが、リカ。


だからリカには共感を感じる。
そして、共感を感じられる読書ってどんなものであろうと、やっぱり
幸せな体験だと思う。


意のままにならない世界。けれどもリカは「物語を作ること」には
固執する。それはもしかすると自分の力で世界を踏みしめて
立とうという気持ちのあらわれであるかもしれない。
誰かが作った世界で居場所を見つけられない人間が
自分である世界を構築し、構築したという事実によって自分の
存在意義を確かなものにしようとしている、ということでは
ないだろうか。


それなのにリカは言葉を失ってしまう。人の言うことは分かる。
だが自分で発話することができない。


言葉を失って苦しむリカが、結局、言葉を再獲得できたようだという
のが物語のオチ。そして私はここに不満を覚えた。


なぜ不満か。それは言葉を再獲得したという感覚が
アルコールをベースにしたものであるから。アルコールや薬物による
一時の悟り(のような状態)を天啓と混同するなんて、
なんか安易だと思ってしまった。
でもその安易さが人間の属性だと言われれば、
はぁ、じゃあよく書けてるねって言わなきゃいかんということになるだろうか。


で、それが果たして本当の救済であったのかどうか。
それはわからない。


ただいえるのは、アルコールによってリカは救われたと思い、
また、そのアルコールがリカの命を奪ったらしいということだけである。